2018年07月10日

十年回顧 その6

 貧窮し切迫し逼塞していた環境は2013年をさかいにがらりと変わった。

 きっかけは、このブログにも何度かその名を挙げた盟友・MAH小林君の周旋で携わることになったレジャー誌の仕事だった。地元ではかなり名の知れた関西に本社を置く某媒体が、満を持し年明けの2013年春・東京に進出するという。その全国版創刊スタッフとして小林君に協力の要請があり、彼は彼で、力を貸して欲しいとわざわざ自分に連絡をくれたのだ。そのレジャー誌の主軸分野はいわゆるホストクラブ。ホストならばナイタイスポーツ時代に取った杵柄がある。小林君はそこに着目してくれたのだ。

 そのレジャー誌には創刊号から以降三ヶ月に渡って編集部員として関わり、媒体が軌道に乗ってからは、完全に一介のライターとして仕事をさせてもらった。編集部員として自分が真っ先にしたのは、ベストクラブ時代にその潜在能力を高く評価し人間的にも好感の持てた岡村・岡田の両カメラマンに声をかけたことだった。

 ライター一本でやるようになったのは2013年6月からである。月収は多いときでも10万円そこそこ。ゆえに、経済的にはかなり苦しく、前年・前々年に作った借金は一向に減る気配が無かった。そういう意味ではやはり辛い時期だった。

 かと言って意気消沈していたわけでは決してない。逆に仕事へのやりがいは昂然たるものがあった。自分の原稿が評価され、編集部の信頼を得て、定期的に仕事を貰い、結果己の文章が媒体となり書店に並ぶ。そんなライター冥利に尽きる快感を何度も味わえたからだ。編集者のSさんに『カッコいいホストのカッコいい写真には星野さんみたいな大人の文章が必要なんです』と言われたときは本当に嬉しかった。自分が一番好きなことをやって人様から称賛されるのである。文章を書いて“〜さんだけ”“〜さんしか”“〜さんじゃなきゃ”“〜さんなら”って言ってもらえるのである。これを倖せと書かずしていったい何を倖せと書こう。

 2014年・春以降は、破綻しつつ己の経済状況をなんとか好転させるべく、あくまで生活ありきで出版・編集とは無関係の職に就いた。最寄り駅は地下鉄有楽町線・新富町。残業ありきなので実入りはそこそこ。定収入があれば当面の生活の不安からも完全に解放される。この仕事のおかげで友人の情けにすがったあげくこさえた借金は完済できたし、未払い期間の多かった国民年金も完納できた。老後のための個人年金にも加入した。それはそれでありがたいことである。
 
 2018年は、自分がナイタイ出版を退いて丸十年になるいわば節目の年である。そこで、自らの過去を俯瞰し総括し清算すべく数回に及びこの“十年回顧”を綴り続けてきた。

 それも今回で終了である。この連載? の冒頭に“自分はすでに死んでいる”と書いた。僕は、この世に“たった一人しかいない自分”のその才能(らしきもの)を活かせてなんとかでも生活が出来ればそれこそが“本当の仕事”だと常々考えている。そして、その仕事で人様を感心・感動・感激させることができればそれこそが“本当の倖せ”だとも常々考えている。

 振り返ってみれば、そんな仕事の中で、そんな倖せを噛みしめながら、1994年11月以降僕は生きてきた。自分の感性で企画を考え、自分の足で現場に赴き、自分の言葉で文章を書いてきた。それが、入稿・校正を経てやがて一冊の媒体の中に結実する。徹夜が続く締め切り前の苦しみも、その早刷りを見ればすべて報われた気になる。いや、実際に報われる。早刷りを手にしたときに感じるずっしりとした重み。そこには、他の誰でもない“自分”の確かな“仕事”があった。他の誰でもない“オンリー ワン”の自分が。

 そういう仕事のできない自分など、そういう倖せを得られない自分など、はっきり言って死んでいるのも同然。そんな意味で書いた文言である。これがこの先どうなるのか? 果たして自分は再生できるのか? それともこのまま死んだままなのか? まぁすべては自分次第。蘇りをかけた男の悪戦苦闘の途中報告という意味をも込めて今後もこのブログを継続してゆきたいと思う。(おわり)

 2014年10月1日・水曜。勤め帰りに地元「大 みずほ台店」で独酌。酒は、瓶ビール(キリン・秋味)・黒ホッピーセットの中いちおか(わり)。つまみは、串焼きメニューからハツとつくねを2本ずつ塩で。他、ほうれん草のおひたし・なすとさんまの揚げだし。お通しはパスタのトマト煮。締めて2,720円なり。

 今日のお題は“十年回顧 その6”にする
ラベル:大 みずほ台店
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2018年06月30日

十年回顧 その5

 職無し・文無し・借金苦、おまけにジンマシン…。

 今思い起こせば滅茶苦茶ヘビーな日々ではあった。が、反面、滅茶苦茶充実していた日々だったのもこれまた事実なのだ。

 無いない尽くしの中でそれこそ腐るほどあったのが“時間”だった。その時間をどう使ったのか? 自分は、かってないほど熱心に本を読むようになった。小説ならば、夏目漱石・志賀直哉・谷崎潤一郎・坂口安吾・江戸川乱歩・夢野久作・松本清張・村上春樹。随筆ならば、吉岡 忍・早瀬圭一・大田和彦・下川裕治。

 読み終えて本を閉じ、卓上の珈琲をひとくち飲んでため息をつき、ついさっきまで脳裏を去来した作品世界を反芻する。洒脱な諧謔に感心し、構成の緩急に感動し、結末の美事さに感激する。

 中でも感銘を受けたのがフリーライター・藤木TDC氏の著作「場末の酒場、ひとり飲み」(筑摩書房)だった。家計簿をひもとけば購入は2012年10月10日・水曜…。

 この一冊にふれ、人生の行き先を見失いもどかしさに逡巡していた己の軸足がぴたりと定まったような気がした。自分が本当は何が好きで何に向いており何をしたいのかが明確になったような気がした。

 “文章はすごい。優れた文章は、読み手を覚醒させ思考させ、感性を陶冶し人格を涵養しその結果変えてしまう。そんな力が確かにある”と…。

 もうオレには文章しかない。文章は読むのが好きならば書くのはもっと好き。己の過去を振り返ってみれば、僕が人様から賞賛されたのはもっぱら自身が書いた文章だったではないか。やはり自分はライターなのだ。

 そんな自分が専門外の分野であるデザイナーになろうなどというのがそもそもの間違いだったのだ。文章を書く才能と図案を引く才能とではまったく異なる。所詮は自分に向いていないものを好きになろう好きになろうと僕は無理を重ねていたのだ。ストレスを抱えジンマシンを患うのも当然である。

 方向を敢然と転換した。Photoshop(フォトショップ)やIllustrator(イラストレーター)にさわることを辞め、Dreamweaver(ドリームウェーバー)やFlash(フラッシュ)はソフト自体を売り払い生活費の足しにした。当然デザイナーとしての業界復帰などという身分不相応な目論見は完全に棄てた。

 心も身体も楽になった。たとえどんな職に就こうが、たとえどんなに貧乏しようが、心底好きで本当に向いている“文章”が自分にはある。この確信を掴めたのは本当に大きかった。(つづく)

 2014年9月30日・火曜。勤め帰りに新富町「もつよし」にて独酌。酒は瓶ビール2本・バイスサワー一杯。つまみは、レバ刺し・ハツ刺し・煮玉子入りもつ煮込み。串焼きメニューからつくねとこぶくろを塩で2本ずつ。最後に焼きそばを貰い締めて3,380円なり。

 今日のお題は“十年回顧 その5”にする。あれだけ酷かったジンマシンは、自分がデザイナーとしての業界復帰に見切りをつけた時点でその症状がぴたっと止まった。そして2013年、友人が周旋してくれたレジャー誌において、あくまでライターとして自分は人生を仕切り直すことになる。
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2018年06月23日

十年回顧 その4

 2011年5月から2012年いっぱいは、自分が金銭面で最も困窮していた時期である。

 とにかく仕事をしなかった。デザイナーになるべく半年通ったWebスクールを11年4月に無事卒業出来たのは良かったが、自分は完全な素人から始めたので、期間内にサイト構築の技術を完全に習得したとは言い難かった。なので、復習の意味も兼ね、Photoshop(フォトショップ)やIllustrator(イラストレーター)・Dreamweaver(ドリームウェーバー)を使用し、作品創りに専念すべく自室に籠り続けたのだ。実務経験もなく年齢もとぉに40の大台に乗っていた身にとってそれは大きな賭けであった。そして結果的にその賭けに自分は負けたのである…。

 転職サイトで目ぼしをつけた会社や職安から紹介された会社に、手間ひまかけて創った自分の作品をプリントアウトして、履歴書と職務経歴書を添え封筒に入れて送る。そんな日が延々と続いた。期間内は週払いのバイトや己の乏しい貯えでなんとか食いつないだ。

 それでも酒量が減ることはなかった。むしろ増える一方だった。今思えば、自身の置かれた過酷な状況を酒に溺れることで忘れようと躍起になっていたのだ。

 いつしか、経済的な行き詰まりから方々に借金をこさえるようになった。やがて、それは本当に洒落にならない額へと膨らんでいく…。家賃の支払いも滞るようになり、矢継ぎ早に来る管理会社やサラ金会社の催促にひたすら頭を下げ続けた…。あの頃の自分を知る人には未だに言われる。「よく、病んで自殺したりトチ狂って犯罪に走ったりしませんでしたね」と…。

 確かに。だがストレスの蓄積は相当なものだったに違いない。デザイナーへの転身は暗礁に乗り上げ、現実逃避目的で自棄酒に溺れ、借金の自転車操業をするようになり、やがて身体に変調をきたし始めた。腱鞘炎に蕁麻疹(ジンマシン)・歯痛・胃痛等々…。

 中でも酷かったのはジンマシンだった。首筋に胸元・腰回り・臀部、果ては唇や鼻に至るまでが赤くみみず腫れに被われた。もちろんかゆい。地元の皮膚科で診察を受け、処方してもらった薬を決められた回数毎日飲んだ。それら通院の記録は薬識手帳にすべて記載してある。見れば、2012年5月2日・水曜から翌2013年の1月7日・月曜の8ヵ月の間、ジンマシン治療のために自分はその皮膚科を計16回訪ねていた。それだけ完治に時間がかかったということなのだろう。

 仕事も無ければ収入もない。貯えは底をつき、ジンマシンに苛まれ、借金取りに追われ、友人にさえ無心し、自己嫌悪に頭を抱える。我ながら、あれでよく病まなかったものだと寒心する。そのくらい周囲からは危険な状態にあると見られていたのだ。実際のところ、精神の崖っぷちに立ちすくみ、無意識の内にもそこから半分自分は身を乗り出していたに違いない。(つづく)

 2014年9月28日・日曜。勤め帰りに地元「日高屋」にて独酌。酒は瓶ビール・レモンサワー。つまみは枝豆・ネギ和えやきとり・カタヤキソバ。締めて1,620円なり。同店のコストパフォーマンスの高さにはいつもながら感嘆させられる。

 今日のお題は“十年回顧 その4”にする。
posted by 彦左小路郎 at 12:42| Comment(0) | 物書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする