2017年09月16日

駒忠初訪 後編

 新大橋通りは、有楽町線新富町駅から本願寺に繋がり晴海通りと交差しJR新橋駅へと向かうまさに築地のへそと言える一帯である。ゆえに、一カ月前の火災で話題になった“もんぜき通り”を筆頭に、新鮮な魚介類を供する飲食店が数多くひしめいている。だが、それに対し居酒屋の軒数は意外に少ない。食に重きを置く店の需要が酒のそれを圧倒しているせいか? 注目に値する事実ではある。

 それは平成通りも変わらない。自分が知る限り、勤め人が仕事疲れを癒し職場仲間と“まどう”いわゆる大衆酒場はこの通り沿いに「駒忠」一軒のみだ。22時を過ぎてものにぎわいもこのことを知れば納得がゆく。

 カウンターは8割方埋まりテーブルは満卓。奥の小上がりもサラリーマンの団体客で盛り上がっている。それら酔客の間を、見るからに気風良さそうなショートヘアの実年女性が従業員に指示を出しつつ注文を聞いてまわる。どうやらこの方がおかみさんのようだ。

 お通しはエリンギの煮つけ。メニューは定番の他におすすめのそれがある。築地が近いということもあり新鮮な魚介類に特に自信があるようだ。自分はビール中瓶にタコぶつを合わせることにした。

 供されたタコぶつは、身の茜色も鮮やかで噛めばほのかな甘みあり。薬味のわさびもいいものを使っており、ビールの肴にしておくのには勿体ないほどに美味い。これはもう日本酒をあわせねばなるまいと菊正・生貯蔵冷酒300mlを注文した。
 
 わさび醤油に軽く浸したタコぶつをつまみ冷酒を口に含む。甘みと苦みが酒を媒介に旨味に昇華されてゆき、舌の上にはその味が糸を引くようにして残る。その旨味をもう一度かみしめたくてまたタコぶつに箸を伸ばす。まさに至福のひとときである。

 カウンター越しの厨房では店主が包丁を片手に魚をさばき、女性店員がうちわを片手に焼きものを返す。その光景を見ながら呑んでいるとこのまま席を立つのが無性に惜しくなる。おすすめメニューからは本まぐろの切り落としを追加し、定番メニューからはつくねを2本・塩で追加した。

 周囲の喧騒をも肴に頬杖を突きつつ“いい店だな、ここは”などとぼんやり思う。おかみさんは、客の入りががひと段落ついたらしく自分のそばに立っていた。どちらともなく話しかけしばし雑談に興じる。こう見えても音楽はロックが好きなんですよと自分が言えば、おかみさんも、ロックが好きでミック ジャガーの東京ドーム公演を観に行ったと話す。

 ミック ジャガーのドーム公演か…。あれは確か1988年だったろうか? と言えば26年前か、俺はまだナイタイに入る前か、現イオンのニチイでバイトに明け暮れていた頃か、あの頃のバイト仲間はみんな今どこでどうしているのだろうか…。などと思考がどんどん過去に遡ってゆく。「タイム ウェイツ フォー ノー ワン」…。よく歌ったもんだよミック…。

 酒は瓶ビール中・生冷酒。つまみはお通し・タコぶつ・本まぐろ切り落とし・つくねを塩で2本。締めて2,700円なり。

 お題は“駒忠初訪”にする。こういう店との出会いがあるからやはり酒場通いはやめられない。それを痛感した一夜であった。ありがとう駒忠…。
ラベル:築地 駒忠
posted by 彦左小路郎 at 18:12| Comment(0) | 首都圏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月12日

駒忠初訪 前篇

 仕事帰りに、地元ではなく勤務先がある地の酒場を訪ねる。今ほど多忙ではない2〜3年前はそんな呑み方がよくできた。今回ふれる「駒忠(こまちゅう)」も、そんな、仕事帰りに酒場を求めて街中をぶらつき偶然に行き着いた逸店である。

 2014年8月25日・月曜。この晩は思ったより仕事が早く片付いた。明日は休日である。

 着易さも手伝い、久々にこの地で、つまり新富町で一杯やろうと決心する。始めは「もつよし」を訪ねようかと思った。しかし、勤めを早く終えたといってもすでに22時は過ぎている。「もつよし」は終業が早いのだ。どこか別の店にしようと足の向くまま駅前をぶらつく。そして見つけたのが「駒忠」であった。

 有楽町線・新富町駅の4番出口階段を上がり、新大橋通りを本願寺方向に進み、二つ目の交差点を右折し直進。突きあたり右にオレンジ色の提灯が見える。それが「駒忠」の目印。片道一車線の比較的幅広ないわゆる“平成通り”沿いに所在する。4番出口からは自分の足で徒歩5分ぐらいか。

 褪せた浅葱色の庇の下にはやはりオレンジ色の提灯が並ぶ。庇中央には藍色の暖簾がかかる。入口は格子の引き戸。看板は、楷書で書かれた“酒蔵 駒忠”の黒抜き文字が力強い黄色地の長方四角形。ぱっと見て“ここは愉しめそうだな”と予感する。良店を発見した際に外観からいだく予感はほぼ100%はずれがない。

 引き戸を開けて場内へ。入口を背にして右手にカウンター・右手奥が小上がり・左手がテーブルという造作。カウンター向こうに厨房がある。自分は一見の一人客なのでカウンター隅に座らせてもらう。

 カウンター前は右に日本酒の一升瓶が並ぶ。左には保冷庫。メニューの短冊が厨房をさえぎるように下がり、さらにその上に、つまり天井近くの壁に、ダービーの模様を捉えた競走馬の写真や幕内力士と店主とおぼしき方の記念写真が並ぶ。そうそう、大相撲の番付も貼られていた。馬・大相撲…。なんとまぁ酒徒の呑み心を刺激するシチュエーションだろう。“ここは愉しめそうだな”との予感が徐々に確信へと変わってゆく。(つづく)
ラベル:築地 駒忠
posted by 彦左小路郎 at 17:36| Comment(0) | 首都圏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

直哉神様

100000009001041520_10204.jpg

 小説にしろノンフィクションにしろ、その作品の醍醐味は、たった一度読んだだけでは的確に把握できないと個人的には思う。ゆえに、優れた音楽(音学)がそうなように優れた文学もまた繰り返しの鑑賞に堪えてしかるべきだとも思う。大切な身銭を切っているのだ、また読みたいと思えない作品など誰がどう評価しようが自分は認めたくない。

 文学とは読んで字のごとく学べる文章のことなのだ。その作品世界に接して、いかに、その読み手が、視野を広げ・思考を深め・感性を磨き、自身の豊かな人格形成に役立て、他者との意義ある意思疎通を可能にできるか。そこにかかっている。

 学問は教材に一度接しただけで見に付くものではない。反復と反芻を繰り返すことによって初めてその人の血となり肉となる。だからこそ、その咀嚼に耐えるべく文学もまず読み応えのある面白いものでなければならない。

 志賀直哉の短編集「小僧の神様」を買った。岩波文庫版、税込み691円なり。

 表題作以外に収録されたのは十篇。初見ではない。すべてかって新潮文庫版で読んだことのある作品である。大筋もだいたいおぼえている。それを新刊で691円払って買っている。なぜ? それだけ志賀直哉の作品が見やすく読みやすく分かりやすいから。つまり面白いからである。

 面白いから何度も読める。何度も読めば、やがて行間に潜む作者の真意さえ理解できる。理解できれば読後感はさらに深まる。そうして自己の感性が鍛えあがる。その感性で世相や世俗にふれれば、何が素晴らしく何がくだらないかが明確になる。これこそが文学の醍醐味だと自分は思う。 

 自分は、上手い文章を書こうという意識をはなから棄ててかかっている。ただ面白い文章を書こうと思っている。つまり見やすく・読みやすく・分かりやすい文章のことである。他者の文章を読む際も、いかにその人が、見やすく・読みやすく・分かりやすい文章にしようと工夫しているか? そこを評価の基準にしている。だから、志賀直哉はやはりすごい人だと痛感する。小僧の神様? 否、小説の神様である。

 2014年8月23日・土曜。ナイタイマガジン元編集長のMAH小林クンとJR池袋駅西口前の「三福」で呑む。名著「東京路地裏<懐>食紀行」でも有名なあの“煮込み・豆腐だけ”のお店である。しかし家計簿には詳細な呑食の記載なし。ただ、4,290円支出と残るのみである。結局彼への借金も返済できずじまいであった…。

 今日のお題は“直哉神様”にする。酒やロック、そして漱石や志賀直哉・国木田独歩らの優れた文学によってオレは形成されている。だから、有名私大のセンセー方が書いた句読点の打ち方が滅茶苦茶な論文や権力べったりの裁判官が書いた文節の係り受けが難解な判決文などは、当人の偉そうにふんぞりかえったその存在込みで唾棄すべきだと思っている。あんなもの読んで理解できないのは当たり前だ。最初から読む側が理解できないよう悪意と恣意でもってわざとひねくった書き方をしているのだから。FUCK!!
ラベル:池袋 三福
posted by 彦左小路郎 at 10:13| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする