2018年04月24日

差し吞み

 過剰に気を遣わず、肩の力を抜き、酒場において差し向かいで愉しい気分で呑める人。以前にもこのブログに書いたが、自分が定義する友人の条件とはこれに尽きる。それが出来なければその人は自分にとって友人でもなんでもない。単なる知人もしくは赤の他人である。

 4月は、仕事休みに人と会い差しで呑む機会が非常に多かった。10日・火曜は、職場の先輩Mさんと、Mさんの地元・川崎の「HUB」で差しで呑んだ。あの英国風パブのチェーン「HUB」である。

 前回同店で呑んだのはいつぐらいになるだろう? と家計簿をひもといてみた。直近5年間には同店における呑みの記載は無い。ならばとそれ以前に遡る…。あった、9年前の2009年2月8日・日曜。そこには、キャバクラ専門誌「ベストクラブ」の編集長・KB小林氏と池袋西口店へ行き1,040円散財の記載が残る。ちなみにこの日ははしごをしていた。まず、同じ池袋・西口の「三福」へKB氏と行き3,130円散財。会話が弾み“もう一軒!”の勢いで「HUB」を訪ねたというわけである。家計簿を続けていると色々な発見があるものなのだ。

 17日・火曜は、生涯の恩人と言っても過言ではないカメラマン兼デザイナーの飛鳥 翔氏と、朝台(北朝霞)のホルモン焼き居酒屋「なかちゃん」で差しで呑んだ。炙りレバーや七輪にくべた炭火で焼いたホルモン・焼き魚をつまみにナイタイやアフター(「クラブ アフター」)の思い出に花を咲かせる。そうなると話題の行き着く先はあの人になる。自分にとってはもう一人の恩人・元「ナイタイスポーツ」編集長のミスター ナイトライフ・山田鉄馬氏のことに。

 自分が最後に山田さんに会ったのはちょうど10年前の今ぐらいの時期である。新宿の二丁目の確か床屋だかの前に立ち山田さんが携帯電話で誰かと話していたそばを偶然自分は通り過ぎようとした。とっさに自分に気付いた山田さんは、通話もそっちのけで大きな声で自分の名を呼んだ。いや、呼んでくれた。しかし、すでに会社に見切りをつけ辞意を固めていた僕はその呼びかけを完全に無視した。あの頃の自分は一種の“燃え尽き症候群”に陥っていた。もう何もかもが面倒に感じられた。

 今思えば、本当に申し訳ないことを山田さんにしてしまった。まとまった休みの取れる今度のGWにこそは、山田さんとの再会を果たし10年前に非礼を侘びたいと心底思う。まぁ、山田さんはそのことを完全に忘れているだろうが…。

 21日・土曜には、これも職場の先輩・Kさんと池袋西口の「三福」で差しで呑んだ。ちなみにKさんとの差し呑みはこれが初めてである。Mさんは先輩とはいえ年齢は自分の方が上なのだが、Kさんは実年齢も自分より遥かに上。職場では大相撲のことを仕事の合間に二人でよく話す仲だが、今回の差し呑みで、Kさんがプロレスやボクシングにもすこぶる造詣の深いことが判明した。力道山・ルー テーズ・吉村道明・アントニオ猪木、輪島功一・カシアス内藤・大場政夫、もちろんモハメッド アリ…。

 一番盛り上がったのはあの“キンシャサの奇跡”の話題だ。1974年10月30日にアフリカ・ザイールで行われたジョージ フォアマン対モハメッド アリのプロボクシング世界ヘビー級タイトルマッチ。アリが敗北を喫したジョー フレージャーとケン ノートンをともにわずか2ラウンドでKOし史上最強のハード パンチャーと喧伝されたフォアマン。そのファアマンに元王者・アリは挑む。そして、試合前に絶対不利を謳われつつも“ロープ ア ドープ”の奇襲でファアマンを翻弄し、8ラウンドついにKOでフォアマンを破りチャンピオンに返り咲く。ボクシング ジャーナリズムは、アリの頭脳的戦法とフォアマンの猛攻に耐え抜いた闘志込みで“奇跡”と呼び称えたのだ。

 Kさんとの酒は最高に愉しかった。あまりにも愉し過ぎて杯を重ね過ぎ、後半自分は深く酔ってしまい、帰路に付く電車の中で寝過ごし駅員に起こされたりもした。滅多に、いや、ここ20年においてそんなことは一度も無かったのにである。

 2014年9月19日・金曜。勤め帰りに新富町「駒忠」にて独酌。酒は、トマトハイ3杯・菊正宗の生貯蔵酒一本。つまみは本まぐろ刺し・肉じゃが。お通しはかつおの佃煮。締めて3,110円なり。

 今日のお題は“差し呑み”にする。果たして自分がこの先どうなるかはわからない。実は今の仕事は今年9月いっぱいで辞めるつもりなのだ。年齢的なことを考えれば、辞めたからと言って急においそれと仕事があるわけはない。無職の期間が長引けば経済的にも苦境に立たされる。あの5〜6年前に逆戻ることにもなる。

 たとえそうなったとしても、自分は、友人と差しで呑んだあの日・あの夜・あの店での酒の美味さや場の愉しさを生涯忘れることはないだろう。
posted by 彦左小路郎 at 18:46| Comment(0) | 物書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月09日

負の女神

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 3月9日、今年もこの日がやって来た…。21年前の1997年3月9日・深夜、渋谷にある木造アパートの一室で、一人の女性が、何者かに首を絞められ殺され金品を奪われた。女性の名は渡邊泰子・享年39歳。

 事件の一部始終を追ったノンフィクション「東電OL殺人事件」の続編にあたる単行本「東電OL症候群(シンドローム)」を読み続けている。数ページ読んでは考え、また数ページを読んでは考え、章を読み終えたごとに本を閉じ溜息を付く。やがてその足で酒場の暖簾をくぐり、呑みながら様々に感慨を巡らせては、いつしか思考の迷宮にはまり込み逡巡する。その繰り返しである。

 確かに、ちょうど一年前、ああいう内容のことをこのブログに書きはした。だが、それは自分が「東電OL殺人事件」を読んだまだ直後に自分なりに己の経験から弾き出した答えである。あれはその時点における“真実”に過ぎない。そして真実とは“事実”と異なる。真実とは、その人それぞれの体験によって如何様にも変化するものなのだ。

 事件は、事実が未だに明確にならず様々な謎を含みながらも、被疑者の無罪・釈放・帰国によって一応の終焉を迎えた感は確かにある。多くの人にとって、渡邊泰子さんは、忘却の彼方に霞み消えていったか記憶の引き出し奥底にしまい込まれそのまま置き去りにされた存在であろう。

 僕は違う。気になるのだ、未だ気になって仕方がないのだ。時が経てば経つほど、経験を積めば積むほど、彼女の軌跡が自分の中で重くのしかかるのだ。そして、酒場で呑めばその声は何処からか聞こえてくる。「この毒が飲めるのか? この謎が解けるのか?」と…。深酒ゆえの単なる幻聴かもしれないが…。

 2014年9月16日・火曜。サウナ帰りに地元みずほ台の「大」にて独酌。酒は、キリンの秋味(大瓶)・黒ホッピーセットを2本。つまみは、串焼きメニューからつくねとはつ・砂肝を2本ずつ塩・しろを2本タレ。その他冷奴・ほうれん草のおひたし・海老とゲソの漁師盛り。お通しは筑前煮。締めて4,120円なり。

 今日のお題は“負の女神”にする。事件は終わっていない。まだ犯人は逮捕されていないのだ。しかし、おそらく、警察は犯人を知っている…。謎は深まり絡まり固まりどす黒い鉛の塊となって胸に圧しかかる。風化させてはならない。そのためにもこれからも何度でも、自分は彼女の名をこのブログに刻み続けるに違いない。
ラベル:大 みずほ台店
posted by 彦左小路郎 at 10:10| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月30日

小室偉大

 もう10年以上前になる。別ブログで小室哲哉についてふれたことがある。

 居酒屋の有線で聴いたglobeの曲に酔いが醒めた気分になり、小室ミュージックの素晴らしさを再確認し、今こそ小室哲哉を再評価すべくその偉大さを説く。そんな内容であった。

 その更新から、今日までの間に、本当に色々なことが小室哲哉にはあった。本人にもその周囲にも。

 ここでそれらの出来事を細かく書きはしない。ただ、そういった出来事が積もり積もって出た例の“引退宣言”。あれには正直動揺したし、まるで自分のことのように僕を落胆させた。

 音楽への意欲にもう身体が追い付いてこないことを引退の一因に小室さんは挙げた。確かにそれはあるだろう。だが、僕には、自分の作品に時代が“いつまで経っても追い付いてこれず”今の音楽シーンと小室さんの存在が完全に乖離してしまっていることの徒労感が何より大きいのではないかと思えたのである。

 振り返れば、日本の音楽シーンの中で1990年代中盤(1993年〜1997年)というのはとてつもなく幸福な時代であった。高い商品性を持った音楽と高い芸術性を秘めた音楽が、美事といっていいくらい奇蹟的に合致していた。楽曲の完成度はそのままセールスに直結し、今聴いても惚れぼれするほど素晴らしい名曲が普通に市井に流れていた。小室さんのglobeやtrf・安室奈美恵&スーパーモンキーズ(MAX)・華原朋美・dos。B’Z・チャゲ&飛鳥・ミスター チルドレン・スピッツ・ラズマタズ…。他にも挙げたらきりがないくらいに。
 
 1997年7月、自分は諸事情から一度ナイタイを退職した。以降紆余曲折あり、バレンタイン コールというテレクラに辿り付く。夜中の8時から翌朝5時までの遅番勤務…。店内には常時有線放送が流れ、様々なミュージシャンの新曲・ヒット曲が否応無く耳に飛び込んでくる。それまで洋楽一辺倒で邦楽になど目もくれなかった自分は、そこでシーンを席巻するいわゆる”小室サウンド”に目覚めた。目から、いや、耳からウロコが取れたようだった。小室さんのメロディメーカーとしてのクリエイティビリテイー・アレンジャーとしてのセンス・プレイヤーとしてのテクニック・リリカルな詩世界。何もかもが本当に素晴らしかった。

 当時ハマっていたキャバ嬢がまた小室さん好きでその彼女からglobeの2ndアルバムを借りた。これがまた凄かった…。そこには、EL&Pの『恐怖の頭脳改革』とレィディオヘッドの『OKコンピューター』の融合があった。もう”J-POP”どころではない、完全なそれも滅茶苦茶カッコいい最新型の“ROCK”があった。

 1998年から1999年にかけてその飛躍に加速が付く。そしてそれは2000年以降明確になる。ゼロ年代小室さんの才能は“芸能”を超えてしまう。つまり大衆に向けたPOPを超えてしまったのだ。やがて、そのサウンドは、“それ自体がメッセージ”でもあるROCKに到達する。いや、小室さんのキャリアはバウワウが結成した覆面バンド シルバースターズから始まったのだから、小室さんはROCKに還っていったと書こう。小室哲哉はやはり根っからの“芸術”家だったのだ。

2014年9月13日・土曜。勤め帰りに新富町「駒忠」にて独酌。酒は、瓶ビール・角ハイ2杯・菊正ぬる燗2合。つまみは冷奴・真イカの一夜干し・つぶ貝刺し・マグロ山かけ。串焼きメニューから鶏正肉をタレで2本。お通しはエリンギ煮。締めて3,950円なり。

 今日のお題は“小室偉大”にする。たとえ誰が何を言おうが、僕の小室哲哉に対する思いは変わらない。小室さんが自分の才能のすべてを賭けて取り組んだglobeの初期4枚は、そのどれもがROCK史上に輝く名盤である。すべての洋楽ファンが“買って”聴くべき作品である。
ラベル:築地 駒忠
posted by 彦左小路郎 at 16:03| Comment(0) | 首都圏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする