2017年03月09日

渡邊泰子

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 ときどき電車の中で呑む。勤め帰り、比較的乗客の少ない最後部車両のシルバーシート脇のドア手すりにもたれ、車窓から眺める夜景を肴に安酒を呑む。

 種類は缶ビールのときもあれば缶酎ハイのときもある。サイズは350ml・レギュラー缶のときもあれば500ml・ロング缶のときもある。

 そのことを職場で同僚に話すともっぱらあきれた口調でたしなめられる。何も込み入った電車の中で窮屈な思いをして呑む必要はないじゃないか、と。地元に着き電車から降り近場の酒場あるいは自宅でゆったり呑んだ方が酒だってよっぽど美味いじゃないか、と。

 正論である。自分でもそう思う。しかし、込み入った電車の中だからこそ呑まずにはいられない夜も確かにある。明らかな自棄酒。もう、「呑まなきゃやってらんねぇよ!!」 なのだ。

 29年前の今日、1997年3月9日の深夜、渋谷円山町の木造アパート内でひとりの女性が何者かに縊り殺された。女性の名は渡邊泰子。享年39歳。

 当初金品目当ての単なる強盗殺人とみられたこの事件は、被害者が平日は東京電力に勤務する慶応大学卒のエリートOLでありつつも夜は街中で一晩に何人もの客を取る売春婦でもあったことから一気に世間の関心を集め扇情的な報道が連日繰り返された。国家権力の横暴さが露わになった冤罪事件として記憶に留めている人も多いと思う。

 マスコミの狂騒・裁判の迷走・獄中から無実を訴える異国人の叫び・二つの顔を持った被害者の心の闇…。佐野眞一氏の「東電OL殺人事件」は、それらほぼすべてを丹念な取材と綿密な考察で綴った力作ノンフィクションである。自分もこれを読んで様々なことを考えた。

 彼女の闇は謎を解き明かさなければ闇のままだ。解き明かすにはその闇に蠢く“何か”をあぶり出し抉り取らなければならない。客とホテルに入りことに及ぶ前、彼女は必ず缶ビールを3本一気に呑み干したという。内訳がレギュラー缶のときもあればロング缶のときもあったが、計3本を必ずあおりその金を客に請求した。

 缶ビール3本の一気呑み。やってみればわかるがこれは難しい。そもそもビールなんて本当に美味く感じられるのは最初の一杯もしくは最初の一本ぐらいだ。それをつまみも無しで立て続けにあおる。当然喉につかえ胃にも応える。けっして身体にいい呑み方ではない。が、しかし、「呑まなきゃやってられないわ!!」だったに違いない。

 彼女の一気呑みも自棄酒だ。そのことで忘れたいものが確実にある。仕事か? 同僚か?職場か? 父親か? それとも自分自身か…。

 彼女は、仕事に疲弊し同僚に失望し職場に絶望し父親を愛慕し自身を嫌悪した。これらすべての諸要素が強いる殻を剥ぎ仮面を取り己の魂を解放させたいと常に願っていた。そして、夜の顔を持つことでその願いを成就させた。彼女にとって春をひさぐことは堕落でもなんでもない。あるべき自分からなりたい自分への飛翔である。逆に、退屈な日常に隷属し続けることこそ堕落を意味した。少なくとも僕にはそう思えてならない。

 2014年7月28日・月曜。勤め帰りに自宅そばの「幸楽苑」で独酌。酒はジョッキ生・グラスビール。つまみは、冷し餃子・煮玉子・おつまみコーン。締めて1,673円なり。

 今日のお題は“渡邊泰子”にする。彼女は、たった一度の人生を自己の欲求に忠実に自分らしく生きた。それはある意味、いや、確実に幸福な人生である。たとえ39年の短い生涯であったとしてもだ。
posted by 彦左小路郎 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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