2018年01月01日

年末禁酒

  家計簿の記帳を続けていると妙な事実に気付く。

 10年前の今時分のことである。自分は、ナイタイ出版でキャバクラ専門誌「ベストクラブ」の編集に携わっていた。ちょうど会社の経営状態が芳しくなく給料の遅配が続いていた時期である。それまでとかく誌面作りに関してなんやかんやと無理難題をふっかけてきた会社の上層部は、給料をろくに払えていない負い目があるのか文句ひとつ言わなくなっていた。なので、ろくでもない縛りがなくなったぶん自分は温めていた企画を次々に実現できた。金銭的なことを抜きにすれば編集者として一番充実していた頃でもあった。

 そんな状況の2007年12月に、16日から24日の9日間に渡り自分は禁酒しているのである。23日のメモ欄には“新記録!”とコメ印付きの記載もある。つまりそれまでは一週間以上酒を断ったことがなかったということでもある。

 16日から24日というと店舗取材も終盤に入りそろそろ入稿に専念しなければという時分である。家計簿の詳細を見れば、17日には、八王子の「てんや」でカメラマンと食事をし、別のカメラマンとは地元みずほ台の焼肉屋「喜家」で食事したという記載が残る。

 つまり、17日は八王子ともう一軒別枠の撮影が重なり、自分は八王子のそれに同行したということなのだろう。そして、別枠撮影を終えたカメラマンの車で地元まで送ってもらったねぎらいの意味でその彼に焼肉をふるまったということなのだろう。その彼とはオカヤンこと岡田さんである。

 あの大酒呑みの岡田さんと焼肉屋に入る。それなのに自分は酒を一滴も口にしていない。これはいったいどういうことだろう? …。 岡田さんとは、翌18日にも新宿三丁目のとんかつ屋で食事をしている。家計簿には1,400円支出との記載も残っている。つまり、店舗取材もしくはキャスト取材がそこまでずれ込み、自分は入稿があって現場に立ち会えないので岡田さんに単独で撮影をお願いしたということなのだろう。そして編集部に戻った岡田さんと晩飯を食ったということなのだろう。

 ちなみにその日自分は齢42になった。10年前の誕生日をここまで克明に記憶しつつ思い出せもするとは…。あな恐ろしや家計簿、である。

 手元には、その時分それを作るため締め切りに四苦八苦していた「ベストクラブ」2008年2月号がある。今パラパラと誌面をめくってみてもその完成度の高さに驚嘆する。カラー(グラビア)で“見せて”、モノクロ(記事)で“読ませ”、確実に“魅せる”媒体に仕上がっている。特に写真の素晴らしさったらない。誌面作りに協力してくれたカメラマン一人ひとりの笑顔が脳裏に浮かぶ。オカやん・池田さん・河野さん・田原さん・土井さん…。懐かし過ぎて涙が出る…。

 話しを戻す。なぜ、2007年12月16日から24日の9日間に渡り自分が禁酒していたのか? その答えが、もとい答えらしきものが、正月だからと奮発したすき焼きをつつきながら酒を呑みつつ読み進めたそのベスクラ2月号の“編集後記”の中にあった。

『年末進行の超絶入稿作業に追われ一週間強全く呑めなかったオレ。12月25日深夜、ようやく4Cの単担当ページをすべて校了させる。クリスマス、外の冷え込みは厳しい。印刷所の目と鼻の先に所在する居酒屋の暖簾をくぐり瓶ビールを注文。最初の1杯を呑み干す。美味い! 五臓六腑にホップの苦みが染み渡る。つまみはカキフライにサーモン刺し。1Cは完全に手付かず。翌日には下版が控えている。…。呑もう。』

 そういうことなのだろうか。

2014年9月3日・水曜。勤め帰りに地元「大」の暖簾をくぐり人心地付く。酒は、瓶ビール1杯・黒ホッピーセットの中いちおか(わり)。つまみは、串焼きメニューからはつを塩で2本・照り焼きチキン・コロッケ。お通しは筑前煮。締めて2,310円なり。

 今日のお題は“年末禁酒”にする。家計簿の記帳を続けていると色々な発見があり妙な事実に気付く。
ラベル:大 みずほ台店
posted by 彦左小路郎 at 23:20| Comment(0) | 物書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月14日

地元夜話

 地元みずほ台の駅ビルは東武ストアである。ここのそれは東西に分かれており、東口はテナントが並ぶ専門店街。自分は、ここの“芳林堂書店”がお気に入りでポイントカードも持っている。この専門店街には靴屋もあったが一年半ほど前に閉めてしまった。今、そのスペースには“マツモトキヨシ”が入る。ここでは、二日酔い防止用にとドリンクやタブレットをよく買っている。

 西口は3階建ての本館になる。1階と2階が食料品売り場・3階が衣料及び家庭日用品売り場という造り。まだBig-Aが自宅近くに無かった頃は、つまり自分がナイタイに勤務していた頃は、毎晩のごとく会社帰りに東武ストアの食品売り場を利用した。レジに立っていた“星野さん”というご婦人の接客が素晴らしく、その方の所作に何度も仕事疲れを癒された記憶がある。もうだいぶ以前に辞められたようだが…。

 西口には、東武ストア本館の他に1階に“ドトール”があり、2階には“TSUTAYA”があった。どちらも愛用していたが“TSUTAYA”は今年7月末に閉店。新しい店が入る告知はなく、シャッターは未だ閉ざされたままである。定職に就かずフリーのライター稼業で糊口をしのいでいた時期は、ヒマだったからこの“TSUTAYA”で頻繁にDVDを借りた。黒澤映画や「男はつらいよ」は全作品をここで鑑賞したと言っても過言じゃない。沢田研二のファンだったから、ドラマ「悪魔のようなあいつ」が全巻揃っていたのを見つけたときは驚嘆したものだ。邦画の品揃えは結構充実していたと思う。

 西口には、徒歩2分ぐらいのところに岩盤浴「きらく」もある。同店のオープンはちょうど10年前の2007年。家計簿をひもとけばその2007年の11月には、10年前の今日つまり14日も含めて10回同店を訪れている。3日に1度か…。まだナイタイがあり「ベストクラブ」の誌面作りに奔走していた頃である。まさに自分最後の輝きといっていい時代…。

 翌2008年の5月20日に、給与未払いの会社都合で自分はナイタイを辞める。以降は、下り坂ゆえに勢いもついたまがうかたなき“転落人生”…。本当に悲惨だった。よく駅のプラットホームから身を投げ出さなかったものである。でもわかる。自分には、死神の代わりにもっと恐ろしい貧乏神が憑りついているのだな(苦笑)。だからかえって“死の誘惑”とは無縁だったんだろう…。

 2014年9月1日・月曜。勤め帰りに地元みずほ台の「大」で独酌。酒は黒ホッピーセットの中いちおか(わり)。つまみは、串焼きメニューからハツとつくねを塩で2本ずつ・自家製厚揚げ。お通しはピリ辛風味の漬けマグロ。締めて1,620円なり。
 
 「きらく」で汗を流した後は、“芳林堂書店”で新刊を購入し“ドトール”で一服しつつ読み耽る。そして、頃合いを見計らい「大」の暖簾をくぐる。休日はそんな過ごし方が理想である。まぁ、なんやかんやあってそうスムーズにいかないことの方が多いが…。

 今日のお題は“地元夜話”にする。今の物件で暮らすようになってから来月で丸12年になる。築云十年のオンボロアパートだが、駅まで自分の足で徒歩5分弱と近いこと・風呂トイレ別にしては家賃が安いこと・みずほ台という街が気に入っていることが相俟って今日まで住み続けている。引っ越す気はない。このままずっとここにいたいとさえ思いもする。
ラベル:大 みずほ台店
posted by 彦左小路郎 at 23:51| Comment(0) | 物書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

あゆ圧巻

 2014年8月31日・日曜。本来なら出勤にあたるこの日、会社から休みを貰い電車を乗り継ぎ、自分は味の素スタジアムへと足を運んだ。“a‐nation”という音楽イベントを観るためである。

 最寄り駅は京王線沿線・飛田給。改札口周辺は、友人を待つ10代・20代の主に“ギャル”連中でごった返している。その群れに混ざり、このイベントに招待してくれた先輩・飛鳥 翔氏を待った。当然のことながら肩身が狭い。よほど帰ろうかとも思う。

 “a‐nation”とは、“a‐vexレコード”所属のミュージシャンによるイベントである。自分が普段親しんでいる音楽は、ハードロックやブルースロック・パンクロック。年齢的にもそういうギャル御用達の音楽には縁遠い。しかし、飛鳥氏の精神年齢は永遠に20代なのだ。話しのネタにと師匠の誘いに乗ってみる。自分はそっち方面に関して全くの門外漢なので、かえって新鮮に興味深く観ることができた。

 イベントのトリを飾ったのは浜崎あゆみ。もちろん初見である。ミリオンセールスを記録したヒットナンバーですら自分は1曲も知らない。かと言って嫌いなわけではない。興味がないだけだ。しかし、これが良かった。感心を通り越し感動した。いや、感動を通り越し感激した。そのくらい圧倒的だった。

 他の出演者は、あらかじめイベントに備えたセットリストをあくまでイベントとしてカラオケをバックにこなしていた(ように見えた)。つまり“流して”いた。に対して浜崎あゆみのステージは完全に“ライヴ”だった。バックバンドの音圧は凄まじいし、バックダンサーのパフォーマンスは流麗だ。

 その中で、彼女は、“浜崎あゆみグループ”のリードヴォーカリストとして、バンドやダンサーと一体化し、渾身のシャウトを聴かせスタジアムを駆けるのだ。今ある自分をすべて出し切ろうとしていた。その姿はアイドルやポップスターではなく、もちろんJKやキャバ嬢のカリスマでもない。過去の栄光にすがらず、進取の気性に富み、あくまで今を生きる。そんな姿勢が凝縮されたまさにロックだったのだ。

 すべてが終わり、駅からそう遠くない場所に所在する古色蒼然とした酒場の暖簾を飛鳥氏とくぐる。家計簿には店名が記載されていない。何を呑み何を食べたのかも書かれていない。ただ、たらふく呑みたらふく食べたという記憶だけは鮮明。しかし、自分がその店で使った額は2,000円となっている。それだけ飛鳥氏が多めに支払ってくれたのだ…。

 あれから丸3年が経つ。このブログを書くにあたり飛田給周辺の居酒屋事情をネットで調べてみた。吉田 類さんも訪ねた「いっぷく」というお店がそうなのかと一瞬思ったが、同店の所在地は駅南口。自分が飛鳥氏と呑んだ店は北口近くにあったのだ、確かに。

 今日のお題は“あゆ圧巻”にする。ネットでは色々な輩が色々なことを浜崎あゆみについて書くが、自分は彼女のファンである。バンドが生演奏であれだけの大音量を出す女性歌手のライヴなど今この日本においては絶無だろう。それに負けまいとシャウトするから彼女の声はあそこまで嗄れてしまったのだ。ロックである。
posted by 彦左小路郎 at 18:56| Comment(0) | 物書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする