2017年10月10日

育ての親

 確実に恩人と呼べる存在が自分には二人いる。

 一人が、レジャー週刊誌・ナイタイスポーツ(以下ナイスポ)の名物編集長であり業界内においてミスター ナイトライフを謳われた山田鉄馬氏。山田さんとの邂逅については別ブログ上で克明に綴っている。山田さんは、学歴も実務経験も何もない僕を、ほぼ面談即決でナイスポの編集部員に採用してくれた。忘れもしない1994年11月7日・月曜。その日が自分のナイスポ初出勤日であり、言葉本来の意味における生誕日だと僕は思っている。それまでの人生など単に前世に過ぎない。オレは1994年の11月7日に生まれたのだ。つまり山田さんは自分の“産みの親”ということになる。

 もう一人が、このブログにもしばしば名前が登場するカメラマン兼デザイナーの飛鳥 飛氏。山田さんが自分の“生みの親”なら彼は自分の“育ての親”にあたろうか。飛鳥氏は、当時のナイスポ編集部内にあって、業界の右も左も知らず取材の段取りや入稿の手順もわからない自分に、業界の内実や仕事のノウハウを懇切丁寧に教えてくれた人である。文章を書くことしかできずそれにだけは相当なこだわりを持っていた自分の原稿も真っ先に評価してくれたのは飛鳥氏であった。それが、高卒で学歴コンプレックスの強かった自分にとってどんなに嬉しく励みになったことか。

 席が隣りだったのも飛鳥氏との距離を近づけた一因だろう。自分は、まだ正式な担当がなく遊軍記者的な立場だったから、しばしば飛鳥氏に請われ現場取材を手伝った。仕事が終わると今度は酒になる。当時ナイスポ(あの頃はまだ「週刊ナイタイ」と名乗っていた)編集部は早稲田鶴巻町のナイタイ本社ビルに入っており、その近くにある「小糸ちゃん」という酒場を飛鳥氏は行きつけにしていた。まだ下戸で進んで酒に親しむことのなかった自分は、そこで居酒屋に目覚め酒を呑むことの愉しさに目覚めた。それはまさにカルチャーショックと言っていいほどであり、その後の人生に多大な影響を与えることになる。そして、こういうブログをたとえ細々とでも延々と続けているわけである。

 2014年8月26日・火曜。北朝霞のガード下沿いに所在するホルモン焼きの名店「なかちゃん」にて飛鳥氏と呑む。酒は、自分が瓶ビール(黒ラベル)2本・青りんごサワー3杯。つまみは、二人でレバ刺し・ホルモン盛り合わせ(二人前)・鶏皮・カシラ・イカ・厚揚げ・餅をそれぞれ一人前で自分の支払い額はジャスト4,000円なり。端数は飛鳥氏が支払ってくれたのだ。

 諸事情あってナイタイを辞めたのは2008年5月20日・火曜のことだ。1年の浪人期間を経た2009年6月8日・月曜に、アダルトDVD専門誌「AV FREAK」の主にライティング スタッフとして自分は社会復帰を果たす。それも飛鳥氏の口利きのおかげであった。

 しかし、「AV FREAK」も、その1年2か月後に廃刊の憂き目に遭う。2010年8月25日・水曜のことである。自分の命日を挙げるとすれば確実にその日になろう。1994年11月7日にオレは生まれ、2010年8月25日にオレは死んだ。そしてその間そばには常に飛鳥氏がいた。

 今日のお題は“育ての親”にする。
posted by 彦左小路郎 at 18:53| Comment(0) | 物書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月16日

駒忠初訪 後編

 新大橋通りは、有楽町線新富町駅から本願寺に繋がり晴海通りと交差しJR新橋駅へと向かうまさに築地のへそと言える一帯である。ゆえに、一カ月前の火災で話題になった“もんぜき通り”を筆頭に、新鮮な魚介類を供する飲食店が数多くひしめいている。だが、それに対し居酒屋の軒数は意外に少ない。食に重きを置く店の需要が酒のそれを圧倒しているせいか? 注目に値する事実ではある。

 それは平成通りも変わらない。自分が知る限り、勤め人が仕事疲れを癒し職場仲間と“まどう”いわゆる大衆酒場はこの通り沿いに「駒忠」一軒のみだ。22時を過ぎてものにぎわいもこのことを知れば納得がゆく。

 カウンターは8割方埋まりテーブルは満卓。奥の小上がりもサラリーマンの団体客で盛り上がっている。それら酔客の間を、見るからに気風良さそうなショートヘアの実年女性が従業員に指示を出しつつ注文を聞いてまわる。どうやらこの方がおかみさんのようだ。

 お通しはエリンギの煮つけ。メニューは定番の他におすすめのそれがある。築地が近いということもあり新鮮な魚介類に特に自信があるようだ。自分はビール中瓶にタコぶつを合わせることにした。

 供されたタコぶつは、身の茜色も鮮やかで噛めばほのかな甘みあり。薬味のわさびもいいものを使っており、ビールの肴にしておくのには勿体ないほどに美味い。これはもう日本酒をあわせねばなるまいと菊正・生貯蔵冷酒300mlを注文した。
 
 わさび醤油に軽く浸したタコぶつをつまみ冷酒を口に含む。甘みと苦みが酒を媒介に旨味に昇華されてゆき、舌の上にはその味が糸を引くようにして残る。その旨味をもう一度かみしめたくてまたタコぶつに箸を伸ばす。まさに至福のひとときである。

 カウンター越しの厨房では店主が包丁を片手に魚をさばき、女性店員がうちわを片手に焼きものを返す。その光景を見ながら呑んでいるとこのまま席を立つのが無性に惜しくなる。おすすめメニューからは本まぐろの切り落としを追加し、定番メニューからはつくねを2本・塩で追加した。

 周囲の喧騒をも肴に頬杖を突きつつ“いい店だな、ここは”などとぼんやり思う。おかみさんは、客の入りががひと段落ついたらしく自分のそばに立っていた。どちらともなく話しかけしばし雑談に興じる。こう見えても音楽はロックが好きなんですよと自分が言えば、おかみさんも、ロックが好きでミック ジャガーの東京ドーム公演を観に行ったと話す。

 ミック ジャガーのドーム公演か…。あれは確か1988年だったろうか? と言えば26年前か、俺はまだナイタイに入る前か、現イオンのニチイでバイトに明け暮れていた頃か、あの頃のバイト仲間はみんな今どこでどうしているのだろうか…。などと思考がどんどん過去に遡ってゆく。「タイム ウェイツ フォー ノー ワン」…。よく歌ったもんだよミック…。

 酒は瓶ビール中・生冷酒。つまみはお通し・タコぶつ・本まぐろ切り落とし・つくねを塩で2本。締めて2,700円なり。

 お題は“駒忠初訪”にする。こういう店との出会いがあるからやはり酒場通いはやめられない。それを痛感した一夜であった。ありがとう駒忠…。
ラベル:築地 駒忠
posted by 彦左小路郎 at 18:12| Comment(0) | 首都圏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月12日

駒忠初訪 前篇

 仕事帰りに、地元ではなく勤務先がある地の酒場を訪ねる。今ほど多忙ではない2〜3年前はそんな呑み方がよくできた。今回ふれる「駒忠(こまちゅう)」も、そんな、仕事帰りに酒場を求めて街中をぶらつき偶然に行き着いた逸店である。

 2014年8月25日・月曜。この晩は思ったより仕事が早く片付いた。明日は休日である。

 気安さも手伝い、久々にこの地で、つまり新富町で一杯やろうと決心する。始めは「もつよし」を訪ねようかと思った。しかし、勤めを早く終えたといってもすでに22時は過ぎている。「もつよし」は終業が早いのだ。どこか別の店にしようと足の向くまま駅前をぶらつく。そして見つけたのが「駒忠」であった。

 有楽町線・新富町駅の4番出口階段を上がり、新大橋通りを本願寺方向に進み、二つ目の交差点を右折し直進。突きあたり右にオレンジ色の提灯が見える。それが「駒忠」の目印。片道一車線の比較的幅広ないわゆる“平成通り”沿いに所在する。4番出口からは自分の足で徒歩5分ぐらいか。

 褪せた浅葱色の庇の下にはやはりオレンジ色の提灯が並ぶ。庇中央には藍色の暖簾がかかる。入口は格子の引き戸。看板は、楷書で書かれた“酒蔵 駒忠”の黒抜き文字が力強い黄色地の長方四角形。ぱっと見て“ここは愉しめそうだな”と予感する。良店を発見した際に外観からいだく予感はほぼ100%はずれがない。

 引き戸を開けて場内へ。入口を背にして右手にカウンター・右手奥が小上がり・左手がテーブルという造作。カウンター向こうに厨房がある。自分は一見の一人客なのでカウンター隅に座らせてもらう。

 カウンター前は右に日本酒の一升瓶が並ぶ。左には保冷庫。メニューの短冊が厨房をさえぎるように下がり、さらにその上に、つまり天井近くの壁に、ダービーの模様を捉えた競走馬の写真や幕内力士と店主とおぼしき方の記念写真が並ぶ。そうそう、大相撲の番付も貼られていた。馬・大相撲…。なんとまぁ酒徒の呑み心を刺激するシチュエーションだろう。“ここは愉しめそうだな”との予感が徐々に確信へと変わってゆく。(つづく)
ラベル:築地 駒忠
posted by 彦左小路郎 at 17:36| Comment(0) | 首都圏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする