2017年11月04日

あゆ圧巻

 2014年8月31日・日曜。本来なら出勤にあたるこの日、会社から休みを貰い電車を乗り継ぎ、自分は味の素スタジアムへと足を運んだ。“a‐nation”という音楽イベントを観るためである。

 最寄り駅は京王線沿線・飛田給。改札口周辺は、友人を待つ10代・20代の主に“ギャル”連中でごった返している。その群れに混ざり、このイベントに招待してくれた先輩・飛鳥 翔氏を待った。当然のことながら肩身が狭い。よほど帰ろうかとも思う。

 “a‐nation”とは、“a‐vexレコード”所属のミュージシャンによるイベントである。自分が普段親しんでいる音楽は、ハードロックやブルースロック・パンクロック。年齢的にもそういうギャル御用達の音楽には縁遠い。しかし、飛鳥氏の精神年齢は永遠に20代なのだ。話しのネタにと師匠の誘いに乗ってみる。自分はそっち方面に関して全くの門外漢なので、かえって新鮮に興味深く観ることができた。

 イベントのトリを飾ったのは浜崎あゆみ。もちろん初見である。ミリオンセールスを記録したヒットナンバーですら自分は1曲も知らない。かと言って嫌いなわけではない。興味がないだけだ。しかし、これが良かった。感心を通り越し感動した。いや、感動を通り越し感激した。そのくらい圧倒的だった。

 他の出演者は、あらかじめイベントに備えたセットリストをあくまでイベントとしてカラオケをバックにこなしていた(ように見えた)。つまり“流して”いた。に対して浜崎あゆみのステージは完全に“ライヴ”だった。バックバンドの音圧は凄まじいし、バックダンサーのパフォーマンスは流麗だ。

 その中で、彼女は、“浜崎あゆみグループ”のリードヴォーカリストとして、バンドやダンサーと一体化し、渾身のシャウトを聴かせスタジアムを駆けるのだ。今ある自分をすべて出し切ろうとしていた。その姿はアイドルやポップスターではなく、もちろんJKやキャバ嬢のカリスマでもない。過去の栄光にすがらず、進取の気性に富み、あくまで今を生きる。そんな姿勢が凝縮されたまさにロックだったのだ。

 すべてが終わり、駅からそう遠くない場所に所在する古色蒼然とした酒場の暖簾を飛鳥氏とくぐる。家計簿には店名が記載されていない。何を呑み何を食べたのかも書かれていない。ただ、たらふく呑みたらふく食べたという記憶だけは鮮明。しかし、自分がその店で使った額は2,000円となっている。それだけ飛鳥氏が多めに支払ってくれたのだ…。

 あれから丸3年が経つ。このブログを書くにあたり飛田給周辺の居酒屋事情をネットで調べてみた。吉田 類さんも訪ねた「いっぷく」というお店がそうなのかと一瞬思ったが、同店の所在地は駅南口。自分が飛鳥氏と呑んだ店は北口近くにあったのだ、確かに。

 今日のお題は“あゆ圧巻”にする。ネットでは色々な輩が色々なことを浜崎あゆみについて書くが、自分は彼女のファンである。バンドが生演奏であれだけの大音量を出す女性歌手のライヴなど今この日本においては絶無だろう。それに負けまいとシャウトするから彼女の声はあそこまで嗄れてしまったのだ。ロックである。
posted by 彦左小路郎 at 18:56| Comment(0) | 物書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月25日

権利主張

 日本はますますジョージ オーウェルの「1984」の世界に近づこうとしている。安倍ビッグブラザーと既得権のおこぼれ目当てにその膝元に群れ集う反動右翼マスゴミとそいつらの意のままに制御されながらそのことになんら疑問も不満も憤怒も覚えない無知で無関心で無自覚なプロールの群れが形成するファシズム国家に。自分には例のAKBとやらがあの“喜び組”の日本版に見えて仕方ない。つまり日本も北朝鮮と大差なくなりつつあるってことだ。

 ったく酒でも呑まなきゃ本当にやってられない世の中である。だから呑む。家で呑む、職場で呑む、電車内でも呑む。もちろん酒場で呑む。

 2014年8月30日・土曜。勤め帰りに新富町「もつよし」にて独酌。酒は、黒ホッピーセットの中いちおか(わり)・バイスサワー。つまみはタン刺しに冷奴。串焼きメニューからつくね・コブクロ・カシラを2本ずつ塩で。シロはタレで、ナンコツは塩でそれぞれ1本ずつ。締めて税込み2,602円なり。

 衆院選の結果についてはもうこれ以上何も書きたくない。とにかく、“絶望するのだけはよそう”と自分に言い聞かせた。投票とは“自分が自分であり続けることの存在確認”でもある。だからこれからも何があろうと棄権はしないつもりである。

 今日のお題は“権利主張”にする。
posted by 彦左小路郎 at 03:32| Comment(0) | 首都圏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月10日

育ての親

 確実に恩人と呼べる存在が自分には二人いる。

 一人が、レジャー週刊誌・ナイタイスポーツ(以下ナイスポ)の名物編集長であり業界内においてミスター ナイトライフを謳われた山田鉄馬氏。山田さんとの邂逅については別ブログ上で克明に綴っている。山田さんは、学歴も実務経験も何もない僕を、ほぼ面談即決でナイスポの編集部員に採用してくれた。忘れもしない1994年11月7日・月曜。その日が自分のナイスポ初出勤日であり、言葉本来の意味における生誕日だと僕は思っている。それまでの人生など単に前世に過ぎない。オレは1994年の11月7日に生まれたのだ。つまり山田さんは自分の“産みの親”ということになる。

 もう一人が、このブログにもしばしば名前が登場するカメラマン兼デザイナーの飛鳥 飛氏。山田さんが自分の“生みの親”なら彼は自分の“育ての親”にあたろうか。飛鳥氏は、当時のナイスポ編集部内にあって、業界の右も左も知らず取材の段取りや入稿の手順もわからない自分に、業界の内実や仕事のノウハウを懇切丁寧に教えてくれた人である。文章を書くことしかできずそれにだけは相当なこだわりを持っていた自分の原稿も真っ先に評価してくれたのは飛鳥氏であった。それが、高卒で学歴コンプレックスの強かった自分にとってどんなに嬉しく励みになったことか。

 席が隣りだったのも飛鳥氏との距離を近づけた一因だろう。自分は、まだ正式な担当がなく遊軍記者的な立場だったから、しばしば飛鳥氏に請われ現場取材を手伝った。仕事が終わると今度は酒になる。当時ナイスポ(あの頃はまだ「週刊ナイタイ」と名乗っていた)編集部は早稲田鶴巻町のナイタイ本社ビルに入っており、その近くにある「小糸ちゃん」という酒場を飛鳥氏は行きつけにしていた。まだ下戸で進んで酒に親しむことのなかった自分は、そこで居酒屋に目覚め酒を呑むことの愉しさに目覚めた。それはまさにカルチャーショックと言っていいほどであり、その後の人生に多大な影響を与えることになる。そして、こういうブログをたとえ細々とでも延々と続けているわけである。

 2014年8月26日・火曜。北朝霞のガード下沿いに所在するホルモン焼きの名店「なかちゃん」にて飛鳥氏と呑む。酒は、自分が瓶ビール(黒ラベル)2本・青りんごサワー3杯。つまみは、二人でレバ刺し・ホルモン盛り合わせ(二人前)・鶏皮・カシラ・イカ・厚揚げ・餅をそれぞれ一人前で自分の支払い額はジャスト4,000円なり。端数は飛鳥氏が支払ってくれたのだ。

 諸事情あってナイタイを辞めたのは2008年5月20日・火曜のことだ。1年の浪人期間を経た2009年6月8日・月曜に、アダルトDVD専門誌「AV FREAK」の主にライティング スタッフとして自分は社会復帰を果たす。それも飛鳥氏の口利きのおかげであった。

 しかし、「AV FREAK」も、その1年2か月後に廃刊の憂き目に遭う。2010年8月25日・水曜のことである。自分の命日を挙げるとすれば確実にその日になろう。1994年11月7日にオレは生まれ、2010年8月25日にオレは死んだ。そしてその間そばには常に飛鳥氏がいた。

 今日のお題は“育ての親”にする。
posted by 彦左小路郎 at 18:53| Comment(0) | 物書き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする