2017年05月20日

郷田三良

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 一人、酒場で呑みながら考える。

 (いったい、いつから、なぜオレはこんな人生を送るはめになってしまったのだろう?)と…。

 わかっているのだ、答えは。しかしまず自分に問うてみる。これを“枕”にして自分の今日までの足跡を振り返る。その過程における様々な体験が脳裏に去来する。この思い出を肴にして杯を重ねる。いつか店員に勘定を告げられふと我に返る。こんな酒を、そうだな少なくとも一カ月に一度は呑んでいる。

 敬愛する江戸川乱歩の作品に、『屋根裏の散歩者』という短編小説がある。人生に何の面白味も見出せず退屈の極みにあった主人公が、完全犯罪に猟奇的な関心を示したあげく、となりの部屋に住む知人を、単に虫が好かないという理由だけで、屋根裏の節穴から毒薬を垂らし殺害してしまう。最後は、あの名探偵・明智小五郎がその主人公の仕業と喝破し、主人公は、自分が死刑台に送られる状況に思いをはせる。こんな物語だ。主人公の名は郷田三良(三郎)という。

 必殺の一行がある。

 “「こんな面白くない世の中に生きながらえているよりは、いっそ死んでしまった方がましだ」”(岩波文庫「江戸川乱歩短編集」収録『屋根裏の散歩者』133Pより)

 乱歩の初期短編は、いわゆる純文学の名作と比較してもなんら劣らない。それどころか自分などは遥かに優れていると思う。中でも『屋根裏の散歩者』は特筆に値する。何度読んでも飽きることがないし、読む度に面白さが増してゆく。

 退屈から逃れるため、郷田三良は犯罪に走り実際に人を殺してしまう。それほどまでに退屈がいやだった。

 そうなのだ、退屈は悪なのだ。退屈こそは嫌悪し唾棄し何がなんでも人生から消去すべきものなのだ。三良にとってもそして自分にとっても。

 退屈な毎日に忍従するくらいなら、平凡な生活に埋没するくらいなら、どんなに道を踏み外してもかまわない、好きなことをやり好きなように生きよう。人生は一度きりなのだ、悔いなど絶対に残したくない。心底そう思い自分はそれを実践した。この果てに何が待とうとも、である。

 振り返ってみれば滅茶苦茶な人生だった。五体満足でこうして原稿を書けるのが本当に不思議なくらいだ。かっての自分の上司にも、先輩にも、同僚にも、いまや連絡の取れない人や連絡先すらわからない人が大勢いる。もうこの世の中にいない人だっている。みんな風に吹かれている…。

 2014年8月4日・月曜。勤め帰りに新富町「もつよし」にて独酌。締めて2,624円なり。家計簿には呑食の詳細な記載がない。よほど酔っぱらっていたのだろうか。

今日のお題は“郷田三良”にする。この男こそは自分の分身である。違いは、三良が一滴も呑めない下戸なのに対し、自分が酒場通いをやめられない依存症ということぐらいか。
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2017年04月11日

独歩哀情

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 夏目漱石がビートルズはならこの人は…そうだな、キンクスだろうか…。

 国木田独歩のことである。

 作品集「武蔵野」(岩波文庫)を購入したのがちょうど一年前。4月28日・木曜。東武東上線・志木の駅ビルの「あゆみBOOKS」志木店にて購入と家計簿には残る。税込み712円なり。

 全278ページ、収録全18編、そのすべてが短編である。ちなみに表題作『武蔵野』は小説ではなく紀行文とも異なる。随筆と書けば随筆なのだろうが、作中に煙草をくゆらし眉間に皺を寄せ辞書を首引きにして机に向かう独歩はいない。少なくとも自分には想像がつかない。

 浮かぶのは、見えるものすべてに視野を広げ聞こえる音すべてに耳を澄ませ自然への認識を高め愛情を深め精神を浄化させていく散策中の独歩だ。ここでは行動と執筆が完全に一体化している。その場その場の情景を表すのに最も適した表現を“浄化された精神”がその場その場で紡ぐ。今では死語になった言葉もその中で実に適切に使われ新鮮味を帯び、文節の繋がりも流麗で完全に一つの世界が構築されている。文章によって描かれた“武蔵野”絵画。『武蔵野』はそんな特異な作品である。

 独歩は、机上から大自然について書くのではなく市井の自然に身を置き自然を愛でる。その“愛”が言霊を導く。そして、その“愛”の中には確かな“哀”が息づいている。だからこそ余計にいとおしい。まさにキンクスである。

 2014年8月2日・土曜。勤め帰りに「もつよし」の暖簾をくぐる。酒は、黒ホッピーセットの中いちおか(わり)・バイスサワー2杯。つまみはもつ刺し7点盛りにタン刺し。串焼きメニューからつくねをタレでナンコツとカシラを塩でそれぞれ2本ずつで締めて3,718円なり。

 今日のお題は“独歩哀情”にする。独歩の作品には“哀情”という単語が度々使われる。なんとも美しく、素晴らしい言葉ではないか。
posted by 彦左小路郎 at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

豪風完走

 稀勢の里のまさに“稀”跡の逆転優勝については多くを語るまい。確かに感動した、もらい泣きした、素晴らしかった。余韻に浸るべくその偉業を報じた日刊スポーツ・3月27日号も購入した。

 だが、それと同じくらい、“心の大横綱”豪風が5勝10敗で負け越したことが僕はくやしい。

 初日の対戦相手が稀勢の里だった。内容は一方的に押し出されてしまったが、驚嘆したのは、公称171cm・実年齢37歳とは思えない豪風の身体の充実ぶりだった。首回り・上腕・太腿。どれを見ても稀勢の里にまったくひけをとっていないのだ。この一年、稀勢の里が初心に戻り四股・てっぽう・すり足の基礎運動で下半身を鍛え直したことが今日の栄冠に繋がったと専門誌にあったが、ならば上背も年齢もまるで異なる豪風のあの鋼の肉体はなんなのだろう? 地道な稽古と土俵外での練習を怠らず続けていることの何よりの証しではないか。

 しかし、努力が頑張りが結果に結び付かない。上位との対戦が続いた序盤で四連敗。大関の豪栄道を肩すかしで破り初日を出すも、以降は正代や照ノ富士・高安・御獄海らの若い力に屈し、終わってみれば5勝10敗と大きく負け越してしまった。西前頭筆頭にあった番付は来場所どのくらい下がるのだろう? 果たして上位との対戦はあるのだろうか?

 相撲に限らないが、だいだいの輩は、勝てば安直に持ち上げ負ければ簡単に梯子を外す。身近にも、以前は稀勢の里を「根性なし!!」だのと罵倒し続けたくせに横綱になったとたん大ファンという人がいる。まぁ、いつの時代にも大衆とはそんなものなのだろう。

 負ければ確かにくやしい。だが、戦ったのはあくまで本人である。つまり稀勢の里であり豪風だ。オレたちはそれを見ていたに過ぎない。負けて誰よりもくやしいのは戦った本人なのだ。それを忘れてはならない。

 2014年7月29日・火曜。勤めが休みだったので、志木の炭火ホルモンの名店「鳥三」の暖簾をピンでくぐる。酒は、瓶ビール2本(黒ラベル)・角ハイボール2杯・マッコリボトル。つまみは、レバ刺し・ホルモン盛り合わせ(シロ・レバー・ハツ)・カシラ・ハラミ・トントロ・ナンコツをそれぞれ一人前。締めて8,098円なり。いゃ〜食ったくった。

 今日のお題は“豪風完走”にする。たとえどんなに負けが込もうと僕の豪風への思いは変わらない。オレの声援が足らなかったから豪風が負けるのだ。“頑張れ”じゃなくオレが応援を声援をもっと“頑張る”。そのスタンスで行きたい。
ラベル:志木 鳥三
posted by 彦左小路郎 at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 埼玉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする